忍者ブログ
2024 / 11
≪ 2024 / 10 1 23 4 5 6 7 8 910 11 12 13 14 15 1617 18 19 20 21 22 2324 25 26 27 28 29 302024 / 12 ≫

今年が始まって今日は11日。ブログは今年初めてです。今年もお世話になります。
(、、、と、書いていたのですが、消えた;;また一から書き直しです。なんで〜;;)

今年は酉年、十二支の中で唯一人間が憧れた生物だと思います。
大体は家畜か、ペットか、食物か、実験動物か、怖がられるものか、人間の先祖か、実在しない生物ですよね。
「鳥」だけが唯一、「あんな風に飛べたらいいな」「歌えたらいいな」と憧れられた存在に思います。
そして、自然に近い存在でもあるでしょうか。「花鳥風月」という言葉のように。
、、、「花鳥風月」は、ケツメイシのものも、レミオロメンのものも好きです♪

酉年と言えば「羽ばたく」目標を持つ人が多そうですが、
鳥といえば「卵」でもあるので、私は、
卵を産む、見つける、育てる、孵化することを、今年の目標にしたいです。
自分のやりたいことを温め、準備し、そして来年には爆発させようかな!?

「花を愛した母の、今日は命日。
その日、風が強く吹いていた。
私は月を愛し、そして鳥のように自然を愛したい」

そして「立つ鳥跡を濁さず」がごとく、今年のお別れをしっかりやりたいです。
まずは7年前の職場のお別れの時に作ったオリジナル曲を、ちゃんと形にしたいです。
、、、相変わらず「失う」曲が好きなんですゞ


PR


今年も残す所後数日です。
今年は色んな「ロス」を感じた年でした。
「リオオリンピック」しかり、「真田丸」しかり、「スマップ」しかり。。。
身近では、相変わらずなくし物が多く、今日も見当たらない物を探して困っています。。。

「ロス」状態は、失った物の大きさ、素晴らしさ、そして失うことの儚さや虚しさや哀しさを感じて、しばし呆然としてしまうこと、現実から逃げてしまうこと、でしょうか。
だとすれば、前回こちらのブログに記した「黄昏時」は、「ロス」の手前の中途半端な状態かも知れません。
真っ暗になって見失う前のひととき。
ある意味、「ロス」を怖がっている状態かも知れません。
始まったからにはいつかは終わらねばならないのに、終わるのが怖い、終わった後の「ロス」状態が怖い、、、このような気持ちは、
一度「ロス」状態で傷ついた人に多いような気がします。
特に日本では、2度の大きな震災があり、「ロス」を身近に感じた人が多い気がします。
自分もそうかも。
だから「黄昏時」、中途半端な自分、で留まっているのかもしれません。

「それが、音楽を完璧に仕上げることを避けることにつながっているのかも、
と、完璧に仕上げられない自分を肯定する言い訳にはしたくないですが。
いつかは、何もかも完璧にやり尽くして終わってみたいものです…。」

新年を迎える前の黄昏時のこの時期には、domisosiの「暮れてゆく」がおススメです!
、、、と、また宣伝した所で、こちらのブログも今年は今回で締めます。
皆様、良い年をお迎えくださいませ〜。



夏は苦手ですが、7月には思い出や記念すべき出来事が多いような気がします。
先日も、音楽関係で7月の思い出が出来ました。
そして、音楽で言えば、我がオリジナル曲「July op.21」、
6年前、2010年の7月に誕生しました!
今までのオリジナル曲の中で唯一、月名が入っている曲です。
やはり、7月は自分にとって大事な月かも。

そんな「July op.21」、年をさかのぼりながら各年の7月のブログをチェックしたら、
毎年、7月に「聴いて下さいね!」って宣伝しているんです!!
そんな「July op.21」の視聴回数は只今97回。
100越えられるように、久々にここに貼付けてみます↓。

さあ、カウント増えるんでしょうか??

「そして7月は、相棒の誕生月でもあります。
これが自分にとって大事な月である大いなる理由かも^^」

ところで、各年のブログをさかのぼって振り返ったら、
やはり「夏うつ」状態が記されてましたゞ。
梅雨明けて、恐怖の「夏うつ」、何とかやり過ごせるよう、
色々楽しみごとを見つけたいです。
今年もオリジナルを夏中にアップしなければ!!

そもそも、批判を受けて凹まない人なんているのかな、と思いますが、
私は特に、自分のやりたいようにやりたい気持ちが強いから、
でもそれが人からズレている事が多いから、批判を受ける事が多いです。
つまり、誰の手も借りずに意見も取り入れずに、自分一人で物事を押し進めたいから、
だから、組織の中で働くのも嫌だし、それによって生じたミスの責任は取りたいけど、
ただ単に「こうすればいいのに」の批判を、素直に受け入れる事はできません。

そもそも、音楽をただただ受け身に聴いていた10年近く前の自分は、
音楽を奏でる人に対する批判、批評、評価ばかりしていました。
でも、ふと気づきました。
それは、自分の出来ない事をしている人に対する羨ましい気持ちや妬みからきているのかな、と。
だったら、批判する立場じゃなく、実際に音楽を奏でる立場にならなければ、音楽を提供する立場にならなければ…、
そう思って、今に至っています。

「批判はやすし、実行は難し。
でも、人を巻き込んで実行するのは嫌な方だから、
やっぱり、批判を受ける立場にならざるを得ないかな。
誰からも批判されたくないし、誰も批判したくないなら、
人とは関わらない生活をする方が性に合ってるのかな。」

domisosiも、知った人には、例えば新曲が出来てもほとんど知らせていません。
評価されたくないんですね。
だから、いつも同じような曲になって進歩がないのかもしれないけど。
批判はされたくないけど、進歩は出来るように、夏休み、励みたいと思います。。。



2年前にも、同じような内容で、自分の存在感の薄さを嘆いていました↓。
http://domisosi.hyakunin-isshu.net/心境/生まれながらの立ち位置がある
最近も自分の存在感の薄さを、生まれつきだからしょうがないか、
でもその割には人と違う道を歩いて来たよな、と、
集団の中に紛れる自分と、集団からはみ出てしまう自分の矛盾を感じています。

集団の中に紛れようとしたのは、あの「校内暴力全盛」時代のおかげじゃないかな〜とか、
大学は派手な子が多くて、自分は地味扱いされたのかなーとか、
(音楽やっているときは、変に派手なヤツ、扱いでしたがゞ)、
その後心身崩れた後は、目立ったり人と関わるとエネルギー使うからーと省エネモードで活動するようになったこととか、
、、、わざと存在感薄くしていた気もするけど、本来の自分はどっちなのかなー、と。
集団が始まった頃から10歳で転校するまでは、
音楽会で目立つような位置に指名されたり、クラス副委員長にずっと指名されたり。。。
その頃の自分が本来の自分なら、自分は結構目立ちたがり屋なのかな、
だとすれば、存在感薄いのは、自分にとってマイナスなのかな、、、とか何とか。
悶々と考え込む日々です。

「“存在感が薄ければ忍者になればいい”という話を聴いて、
あ、存在感薄くてもメリットあるのかなと思ったりするし、
音楽やる人にとって、音楽そのものを目立たせるために、
自我を強調せず無我の境地の方が感動を生むという話もあるし。
、、、しかし、音楽やる人はみんな、
派手で自己主張強くて目立ちたがり屋なのは何でなんでしょうね。」

色々考えすぎるのは自分の悪いクセですが、
いつかは、“存在感の薄さ”が、自分にも人にも役立てるといいかも、
と思ったりします。。。










10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
HN:
domisosi
性別:
非公開
職業:
とある専門職
趣味:
音楽全般(演奏、鑑賞、作曲他)