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前のブログに載せたオリジナル曲「My name is Music」、久しぶりに聴きました。
「いつだってそばにいる」という歌詞、
確かに、私の大好きな音楽はそうであってほしいですが、
生身の人間は、そばにいすぎるといけないのかなーと、今は思っています。

ソーシャルディスタンシングは物理的距離、
ソーシャルディスタンスは心理的距離、と、新聞に載っていました。
今は、特にディスタンシングが必要で、それはむしろ私にとっては心地いいんですが、
家の中だとそれが難しくて、そして今、距離が近すぎたおかげでうまくいかない家族関係があります。。。

「音楽はソーシャルディスタンスを越える美しい世界。
人間の世界は、やはり醜い;;」

そういえば、昔、共に長い時間を過ごした人(同性)と、そのおかげでその人が嫌になりましたが、
距離と時間を置くと、久しぶりに出会うと楽しい時間でした。
自分にとって人間関係には、距離がある方が楽なのかもしれません。
寂しくないかって?音楽がそばにいるから大丈夫!!
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大事にしたいことに優劣や順位をつけるのはどうかと思いますが、
やはり私は、パートナーの相棒と過ごす時間を大事にしたいと思います。
音楽も自分にとって大事ですが、これが私の1番大事にしたいことなんです。
なぜなら、この時間が遅かれ早かれ、いつかは消えてしまうものだから。
もしかしたら50年後かもしれないし、もしかしたら明日かもしれない。
そんな儚げな時間、何だってそうですが、
相棒との時間だけは永遠に失いたくない私にとって、
ただただ何気なく一緒にいる時間1分1秒が、愛おしく思うのです。

なのに世間では、パートナーとの時間をいい加減に扱っている人が多いような。
人の事情、別にどうでもいいんですが、
その分、私みたいにパートナーを大事にしたがる人をからかうのは止めてほしい、
なんて思います。
照れ隠しなのか、パートナーを見下げた言い方をする人等、
私みたいなパートナー大好き人間は目障りなのか、いじられやすいみたいです。
「放っといて」と言いたくなるし、
お節介ながら、いつ消えてなくなるか分からないパートナーとの時間、
「もっと大事にしろよ」と言いたくなります。
各世間の事情あり、背景ありでしょうから、そんなこと直接言うことはないですが…。

「パートナーあっての私であり、
パートナーあって今の音楽好きの私が成り立っている。
先にパートナーがいなくなることは考えられない。
ならば私が先に消えたい。
…そんな気持ちは行動よりも音楽に託す。」

なぜこんな話を、、、というのは3.11だからかもしれないです。
こんな日には、オリジナル「桜舞う」を聴きたいです。
この日のことは、きっと忘れないことでしょう。。。




今日の午後はピアノハーフマラソンの予定だったのですが、
午前の予定がのびのびになり、
(プリンタがおかしくなったため;)
そして午後はピアノの最中に電話が入るなどして、
3時間弾くのは無理でした。残念。
でもまあ、このところ毎週ピアノハーフマラソンができてて、いい感じです。
オリジナルにも手を付けつつありますし、
音楽に関しては満足です♪

さて、前回、「母は千の風になったんだ〜」と、
「ひこうき雲」で涙した話を書きましたが、
今回は、新聞に書かれていた「死にゆく人は青空を見ている」という言葉に涙しました。
宮沢賢治の詩について書かれた文ですが、
亡くなる人は、亡くなる時に青空を見て「今までありがとう」と言いながら逝かれると書かれていて、
私が青空やひこうき雲にこだわった意味が分かった気がしました。
母が死にゆく時に見た物を、私に見せてくれていたのですね。
綺麗な青空を見て、綺麗な世界へ旅立ったとしたら、
それはそれで、無念ばかりでもないんだ、と、
少し救われた気持ちになれました。

「母が見ていた綺麗な青空を見せてくれた御礼に、これからは、
この世のことは、私が見ているから、
私が見た物が、あの世にいる母に伝わりますように。
母を心配させないようなこの世を、
伝えることが出来ますように。」

やはり8月、生きる人、生きた人が行き交う月なんだな〜と、
今年は特に感じます。。。


今週はピアノハーフマラソンはできないので、ちょっと音楽から離れた話題を。
母が亡くなってから、花が好きな母のために仏花は欠かさず供えるようにしています。
でも、仏花だけだと物足りないため、
時々その横に違う花を飾ります。
先月は母の日があったので、「カーネーション」を飾りました。
今日は、何とバラが10本298円と破格値だったので、つい買ってしまいました。
バラがあるだけで、部屋が華やかな感じがします。
ただ、夏はなかなか花が長持ちしないのが難点です。
氷を入れたらいいと聞きますが、
まだそこまで部屋は暑くないので、こまめに水を変える程度にしています。
毎日花を触り、ちょっと心が落ち着くような。
これも母のおかげかもしれないですね。

「花を供え、朝から母に挨拶し、今日の一日が始まる。
まだ手を合わせても、
“〜できますように”とか“助けて下さい”とかお願い事は言えていない。
頑張っていた母の気持ちに応えられなかった自分を悔いているのか、
自分のことを頼むのは虫がよいように思ってしまう。
もう仏様になった母にとっては、
娘の頼みは何でも聞きたいと思っているかもしれないけど。
(そう想像するのも図々しい?)」

あ、でも、色んな迷いでいっぱい先週は、
母に「どうしよう」と語りかけてました。
その後、ちょっとは落ち着いて、自分で腑に落ちる所を探せたので、
「母に語る」それだけで、自分にとって大いなる救いの場所になるのかもしれないですね。


久しぶりに、、、というかあまりやった記憶が無いのですが、
縦列駐車をしました。
道の路肩に車を寄せるのはよくありますが、
縦列スペースに車を入れるのは、出来れば避けたいと思っている方です。
でも今日は、意外と困らずに済みました。
だいぶ運転力が上がったかも??

これも母のおかげかもしれないです。
ここのブログでも、母の入退院の送り迎えに車を使って大変であることをさんざん語ってきましたが、
そのおかげで、狭い所の駐車も割にスムーズにできるようになりました。
母が「私のおかげで運転うまくなったでしょ」と言ってましたが、
そのときは「誰のせいで!」と思っていたけど、
今なら、運転がうまくなってホント有り難い機会だったと御礼を言うでしょう。
いなくなると、そんなもんですね。勝手と言うか何というか。。。

「再び、、、失ったとき分かる大切なもの。
その事実に打ちのめされるのは、
恐らく自分が死ぬまで続くんでしょう。」

この間まで、母のことでふとした拍子に泣いていたのが、
ここしばらく、涙が出なくなってきました。
もう十分泣けたかな。悲しめたかな。
きっと忘れはしないけど、たまに切なくなるだろうけど、
もう後悔や罪悪感は少なくなってきたかな〜と思います。
そうそう、今日は、#11の母に捧げるオリジナル曲を、
母の遺骨の目の前で、キーボードを弾きながら歌ってみました。
これが出来てホントによかった。
もうすぐ母の遺骨は、お墓へと納められます。。。


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