忍者ブログ
2024 / 11
≪ 2024 / 10 1 23 4 5 6 7 8 910 11 12 13 14 15 1617 18 19 20 21 22 2324 25 26 27 28 29 302024 / 12 ≫

本日バレンタインデーは、仕事オフの日と重なり、
一念発起で久しぶりに手作りしました。
血糖値の高い相棒sosirefaのために、
砂糖も小麦粉も使わないレシピが見つかり、
作ることが出来ました\(^o^)/
手順は簡単で、30分で作れました。
味はどうか分かりません。
まだ渡せてないので、食べた後の感想が楽しみです。

本当は、高級チョコをあげたいのですが、
血糖値が高いとしょうがないですね。
もしあげられたら、
そのついで、で自分用にも高級チョコを買えたかもしれないのに。
でも、結局自分用には、国内メーカーのマカデミアナッツで終わりです;;
あ、そうでなくても、只今母のお供えの和菓子が家にあふれかえっているので、
それを食べないと、チョコレートどころではないのですが。。。

「バレンタインで手作りできるのは、幸せかもしれない。
食べてくれる人がいて、
食べてくれる人が元気で、
そんな今年のバレンタインを、
ありがたく、有り難く思っている。」

ここのところ、毎日大量に甘い物を食べている私は、
いよいよ血糖値が怪しくなってきました。
来年のバレンタインは、
「私もチョコが食べられな〜い;;」
になってなかったらいいのですが。。。


PR


母の死去から、少し時間が経ちました。
前回ブログを書いた時は、正直、葬儀をやり終えた「達成感」なんて感じていたのですが、
10日ほど経ち、だんだん「やるせなさ」「むなしさ」を感じるようになってきました。
「これで良かったんだろうか」という思いが巡っています。
母は十分すぎるほど頑張っていました。
でも自分は、頑張っていたのだろうか。
母の思いに応えていたのだろうか。
もっと、仕事を投げ出してそばに居た方が良かったのだろうか。

でもそれは出来なかった。
久しぶりに、母に対する思いを書いたここのブログを読み返したけど、
自分にはそれが出来ない思いが綴られていた。
母に対する複雑な思いと、病に対する怖さと、自分がやりたいことをやりたいという自己中心さと、
自分が倒れたくないという過剰な警戒心と。
やはり、親子なのに、距離を取りすぎていたのだろうか。
でも距離なく介護に徹していたとしても、
こんな風に思うことは避けられなかったのではないだろうか。
どんなに母の寄り添っても寄り添い足りないほど、
やはり、母の死を残念に、残念に、思ってしまうのではないだろうか。
それが、母を失った自分の「喪失過程」ではないだろうか。

「自分が出来るだけのことをした、という思いもある。
でも、もっと出来たんじゃないだろうかという思いもある。
こんなとき、人によっては、何かのせい、誰かのせいにするだろう。
でも、私は出来ればそうしたくない。自分のせいと思いたい。
だから苦しむだろう。葛藤するだろう。」

四十九日たてば、思いが整理できるというけど、本当かな。
その頃どっと疲れが来るというのも、本当かな。
親を失った時の心境、戸惑いながらもそんな自分をじっと観察したいと思います。
、、、観察方法として、ブログを使わせてもらいますね。。。

先週、こちらのブログに記載してから3連休まで、
怒濤の日々でした。

母が亡くなりました。
ここのブログを書き始めて数ヶ月で、腫瘍が見つかったんですが、
あれから2年とちょっと、治るために母は頑張っていたけど、
やっぱり快復できなかった。残念です。。。
でも、苦しまずに笑顔で亡くなったのは救いでした。

通夜や葬式で「千の風になって」のピアノヴァージョンを流してもらおうかと思ったけど、
そんな隙間はなかったです。
しょうがないから、家に連れて帰ってきている母の遺骨に捧げられるよう、
ピアノ曲を弾いています。
ベートーヴェンの「悲愴」、ショパンの「別れの曲」。
いつかモーツアルトの「レクイエム」のピアノヴァージョンも弾けたら〜。
これが私に出来る大いなる供養かな。。。

「これから母は、ずっと私の近くに居る。
いつだってそばに居る。
苦しまずに居られる。
だから少し安心している。」

しばらくは、バタバタしているかもしれないですが、
いよいよ仕事も音楽も、本格的に頑張るきっかけになりそうです。
財産を増やすため、早「脱皮」できそうかな〜。


母についての記録が続きますが、
先週は元気になったおかげか、気の強さにげんなりしていたのですが、
今週に入り一転してまだ病状が悪くなりました。
もしや今年いっぱいかも、、と主治医からお話を聞きました。
確かに傍目で見ていても、コミュニケーションも難しく、本人も時折苦しそうで寝たり起きたりです。
いよいよ看取りかと思うと、何をすればいいのやら。。。

一番に考えるは、母本人の思いを聞き取ること、だと思いますが、
なかなか話しづらそうだし。。。
いよいよになると、ちゃんとお別れの言葉を言えるといいのですが、
今はまだ考えられないのが正直な所です。
出来るだけそばにいる、、のが大事と思いますが、
毎日お見舞いは、今の自分の仕事上不可能で、
まして12月は色々イベントもあり。。。
悔いも未練も残したくないのですが、
母らしい旅立ち、どうすればいいかまだまだ考え中です。。。

「ぞろ目の年齢で私を産んでくれ、今私も母もぞろ目の年齢。
だから、今、なのかな。。。」

「親の死に目に会えるかどうか」という記事が雑誌にありましたが、
みな、それで悩むそうです。
私も悩みそうです。仕事か親か。
できるだけ、できるだけ、仕事中ではないことを祈ります。
、、、というのは、子どもの最後の我がままでしょうか。



母の調子が相当悪くなり、いよいよ覚悟を決めなければと思っていたのですが、
今回、思う以上に抗がん剤が効いたということで、だいぶ調子が良くなってきました。
そしたら、母の元々の性格である「気の強さ」と「強情さ」が表に出るようになり、
さらにはそれが妄想的に体系化し、
結構手に負えなくなりそうな予感です;;

介護はすべて自分にかかっていると思うと、それだけでめげますが、
それ以上に、あんな気の強い性格の血を受け継いでいるかと思うと、
自分の老後が不安になりました。
私も年老いたら、あんな風に強気でまくしたてて、介護者を泣かせるのかと思うと、
そしてその介護が、私の今の相棒が担うことになったらどうしようと思うとやりきれないです。
相棒に嫌な思いをさせたくない。
それだったら、年老いる前に私はどこかへ行ってしまった方がいいかもしれない。。。
どこに行けばいいか分かりませんが、
出家したくもあり、介護老人ホームで暮らそうかという思いもあり、
でも、そのためには貯金もしないといけないし、
そうでなくても、今暮らしているだけでも毎月赤字なのに。。。

自分は母に似ているとは思わないけど、
やはり血がつながっていると性格も受け継がれているかと思うと情けない。
父に似ていたとしても、
この面倒な状況を放り投げる性格まで受け継いでいたら、憂鬱以外の何者でもない。
あ〜そんな風に考えてしまい、
長生きしたくないーーーと切に思ってしまうのです。。。

「親に似ていて良かった、と思える自分をあまり知らない。
親は今まで、自分にとって反面教師だった。
親を看取るまでの間に、少しでも“この人の子どもで良かった”と思えたらいいけど。」

親の世話は覚悟していたのですが、
そこから自分について内省化しすぎました。
おかげで、ここ数日早朝覚醒です。
自分のためにも介護のためにも、メンタルが弱らないよう気をつけたいです。。。

10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
HN:
domisosi
性別:
非公開
職業:
とある専門職
趣味:
音楽全般(演奏、鑑賞、作曲他)