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時々、一日中家に引きこもっている時があるのですが、
そんなんじゃ、筋力が衰えてしまう!と、
毎日スロースクワットをすることにしています。
そして、夕刊を1階の郵便受けまで取りに行った帰り、
階段を上る時、2段ぬかしで上がっています。
ちょっと効果あるような?気のせいかな〜。

さて、10月6日付のブログ「共時性?テレパシー??」というタイトルで、
シューベルトについて書かれた本の内容を引用していました。
今日は、同じ本で、かなり納得してしまった箇所を紹介します。
「悲しみは不幸にあった自分を愛おしく思う感情である。」
「悲しみを歌うことで、自分に対する愛を回復させる。」
「涙を流すことで、辛く残された自分を愛おしく思う感情がよみがえる。」
(引用『シューベルトとシューマン』井上和雄著 音楽之友社)
そこから、芸術に苦しみをぶつけ、苦しみから抜け出そうとする、シューベルトの音楽の分析が始まるのですが、
ついつい自分に当てはめて考えると、
自分が泣き歌が異常に好きなこと、
自分の作るオリジナルは泣き歌的なものが多いこと、
これはようするに、自分の中の悲しみを自己愛で慰めようとしている、
ということなのかな〜と思ってしまいました。
自分でも意識出来ないところで、自分の奥にずっと悲しみが横たわっていて、
子どもの時、泣いて騒げば良かったけど、
ひたすら泣かずにいい子ちゃんだったから、
いつまでも悲しみが消化(昇華?)されず残っていて、
年を取ってまで、泣き歌に執着してしまうのかな。
そんな自己分析をしてしまいました。

「悲しい出来事に出会ったときは、
その時思いっきり悲しまないと、
ずっとずっと、悲しみが自分の中に残るんだ。」

ブログで自己分析を披露してすみません。
ただもし、同じような特徴を持つ人がいたら、
ああそういうことなんだ、って思ってもらえたら、
披露した甲斐あるかもしれません。
なんにせよ、読んで下さった方、感謝です。
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