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音楽にどっぷりつかるようになって、かなり長いのに、
まだ、音楽とのかかわりで、自分の居場所が見出せません。
最近は、作曲・アレンジが自分に合っているように思っていたのですが、
演奏も捨てがたいと思っています。

でも演奏が曲者で、「メロディ」や「ソロ」か、「伴奏」か、「内声」か「ベース」か、あるいは「リズム」か。
自分の気質的に、目立ちたいところと、人をたてたい、支えたいところと、あって、
でも演奏力として、伴奏として人の音楽を生かそうとするのは難しくて、これは気質的に無理があるからではないかと考え始め、
かと言って、メロディやソロのような“魅せる”ことができる“華”がなくて、そして自分を主張できる“負けん気の強さ”がなくて、これも気質的に無理ではないかと考え続けています。
内声かベース?リズム?安定感がないし、目立ちたがり屋が我慢できなさそうだし。
、、、やはり、演奏より、独自の世界観を出せる「作曲」が合っているのでしょうか。
、、、あ、「指揮」という手段もありましたが、そんなカリスマ性はないですね。。。

(いくつになっても独りよがりで自分本位、
いつになっても、なんでも一人で楽しみたい。
でも音楽は一人で楽しむだけではない楽しみ方もある。
そんな時、自分は音楽の中でどのように生きればいいのか。
…この悩み、実は一人で完結する楽器、ピアノがうまく弾けないところからきているのかもしれない。
長らく家にいられるのに、家の事情で家にあるピアノが弾けないもどかしさがある。)

いつになったら、、、いつになったら、、、自分で自分を納得させられるんでしょうか。
どこに、、、どこに、、、自分が音楽と同一化できる居場所が見つかるでしょうか。
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オリジナル曲#21「My name is Music」が出来ました!
動画を簡素にしたおかげで、思ったより早く仕上がりました。
宜しければ、ご覧下さい。


しかし、私にとっての作曲とは、結局自分が聴きたい音楽を形にするだけのものかなと、
朝ドラ「エール」を見ながら考え込んでいます。
今、主人公が模索する中「誰かのために作曲する」という方向へとつながりそうです。
domisosiが作曲した21曲は、誰かに向けて作曲した、、、とはなかなか思いにくいです。
むしろ、自分の思いを垂れ流しにしただけとか。
でも、その自分の思いを、同じように思っている人にはココロに響くかもしれない、
そのような期待や希望はあります。
でも、「誰かのために」「誰かの役に立てれば」とあからさまに思えないのは、
やはり「素人」だからでしょうね〜。。。

「My name is Music.
そして自分にとっては、
domisosi is my Music.
そしてだれかにとっても、domisosiの音楽がmy Musicであってほしい、
そんな欲望もある。」

やはり、作曲のプロにはなれないのは、そこかもしれないですね。
誰かの依頼より、自分のために作りたいというエゴ。
これって、何とかする必要があるものでしょうか。
分からないまま、まだまだ音楽は作り続けたいです…。




お陰様で、4月も家に居ます。3月以上に「ステイホーム」が全国的に叫ばれています。
お陰様で、domisosiとしてやりたいことも進んでいます。
この状況だからこそ降りて来た曲を、大事に育てている所です。
来月の、domisosi10周年記念日には間に合うかも?

家の状況で、一昨年ウチに来たアップライトピアノにさわることはできていないのですが、
ほぼ一日置きには、キーボードで弾きたい曲、練習すべき曲を弾いています。
その中で、バッハの「G線上のアリア」が心和ませます。
今の状況で心安らぐのは、バッハの曲かもしれないです。
ピアノが出来る前に作られたバッハの曲が、キーボードに合うというのもあるかもしれません。
あ、今思いつきましたが、キーボードの「パイプオルガン」音色で奏でると気持ちいいかもしれませんね♪

「domisosi10周年記念で、今までの曲をまとめようとしたが、
むしろ、新たに出来た曲を育てることで、
今後、その曲を振り返る度、今の不自由な状況について思い出せるような気がする。
音楽は、過去の記憶とともに。未来の希望とともに。」

通常の音楽活動を動画を見てもらう形にしたり、ホームページをヴァージョンアップしたり、
キーボードを弾いたり、オリジナル曲を育てたり、、、
どうも音楽のことしかやれていないですが、
ステイホームで好きなことをやって、規則正しく活動して、美味しいもの食べて、ぐっすり眠って、愛猫ちゃんと遊んで、楽しく会話して、、、
出来るだけ機嫌良く過ごしてやり過ごしたいです。。。

先日、音楽イベントが終わり、その後数日間は虚しさを感じていました。
終わった後の虚しい感じ、、、あまり体験したくなかったこの感情。
、、、だから、「何かに依存する」ことを避けていたのかなと思います。
のめり込むと、それが終了した後の虚しさが辛くなる、
それを避けるためにもっとのめり込む、、、
でも、どんなにのめり込んでも終わりがない、
ますます強度が強い物を求める、、、
ほんと、ちまたの「○○依存」に近いですよね。
音楽も、依存性、中毒性があったとは。。。

これを避けるには、
「あまりのめり込まずに、薄く関わる。」
「それ以外の物に興味を多く持つ。それが唯一としない。」
そして、「それだけのめり込んだ自分を高く評価する。」でしょうか。
、、、むしろ、避けずに、もっとのめり込むのもありでしょうか。

「自分や他の人を傷つけずに、のめり込むことは出来ないだろうか。
のめり込み方によって、危険も生じるかもしれない。
、、、と思って、のめり込むことに臆病になっている。」

むしろ、のめり込むことができる環境は、貴重かもしれませんね。
のめり込むことができなくなる環境になりそうなので、
そのときは、音楽を楽しめた過去を振り返って楽しむのみになるかもですね。
、、、なかなか、人生思うようにいきません^^;。

「しましまの歌」をアップしてから、2ヶ月経とうとしています。
ブログを書きたかったのですが、なかなか手を付けられませんでした。
この間、ピアノの人前演奏があったり、
そして今は、手の療養中。。。

手の療養中は、楽器、特にピアノを触ることができず、
療養約1ヶ月近くになる今、早くピアノを弾きたくてうずうずです。
この間「蜜蜂と遠雷」の映画版を観て、さらに小説版も読み返して、
余計に、弾きたい気持ちがうずうずです。
この気持ち、復活後のエネルギーになってほしいです!

「やりたい気持ちをより高めるために、
少し距離を置いて、遠くから、あるいは違う角度から眺めるのは効果的かもしれない。
スランプの時も、調子不良の時も、
脱した時の喜びの貯金という意味で、
大事な時期かもしれない。」

それにしても、手が不自由なのは、生活も不自由になります。
まだ全然治る気がしないです;;
そういえば、子どもの頃から、手の怪我が多かった、、、
そのため音楽の道は無理かもと、ぼんやり思ったこともあった。。。
、、、今は、こんな状態を、「与えられた物」として、
だからこそ出来ること、もがいて見つけたいです。。。




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HN:
domisosi
性別:
非公開
職業:
とある専門職
趣味:
音楽全般(演奏、鑑賞、作曲他)