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ある人が私の真似をしたいというのを聴いて、
たいそう立腹した今日でした。
むしろ誇らしいと思っていいはずなのに、
人の真似することも真似されることも大嫌いな自分なので、
「けんか売ってるんか!」まで思いました。

偉そうにも程があるのですが、「オンリーワン」でいたいんです。
ちょっと人とは外れた道、外れた考え方、外れた感覚、外れた表現、、、
それがどんなに受けが悪くても、私らしくて私は好きです。
誰とも違う自分を感じて、嬉しいんです。
だから、誰かが自分と同じことをやろうとしていると知っただけで、
もうそのことには興味なくなります。
もちろん、自分の独創性にも限界がありますから、
エネルギーのない時はコピーだってしますけど、レシピ丸写しの料理ですけど、人まねなんか得意ですけど。。。
でも、自分が大事にしているものは、大事にしている作品は、生き方は、
誰にも真似されたくないんです。
ただただ、「すごい!」「○○(私の名前)らしいね!」と言われたいだけなんです。

「だから、自分の考え、オリジナル作品は、
誰かが真似する前に世間に出さなければ、と焦る。
後から、“それって〜のコピー?”なんて思われるのを最も嫌う。
ああ、早く、あのモチーフ使って、シンフォニーを作らなければ。。。」

思えば、独創性だけが自分の取り柄。
お願いだから、誰も私の真似しないで下さい。
みんな自分の道を歩いて下さい。
だけど、私の作品を演奏したいというご要望は、大歓迎ですよ!
それは、真似ではなく、リスペクト、ですからね。
、、、?ということは、「真似」というのは、リスペクトされているって思えばいいんでしょうか。。。


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前回ブログは情けないくらい気分盛り下がりムード満載で、
読んで下さった方には気の毒でした。
今週ぐらいから、だいぶ落ち込みから抜け出しつつあって、
音楽も、もう少し続けよう、現状を続けようという気分になっています。
テンション上がる!な気分はまだまだですが。。。

でも今日は、「一緒に音楽する」時間があったので、
それが気分良かったので、余計いい感じに思って来たのだと思います。
誰とも関わらず、一人で黙々音楽したい時は「ピアノ」とか最適と思いますが、
自分は、一旦ピアノの道を逸れる時に、集団で音楽する道を選んでしまったので、
意外と、気分の落ち込みには「誰かと音楽する」というのが合っているのかもしれません。
ピアノの道を選ばなかったことで、結構落ち込んだはずですが、
集団で音楽することで救われたと思いますので。。。
そして今日も、「一緒に音楽」に救われた気がします。。。

「一緒に音楽する時は、
やはりみんなで“気”や“リズム”を感じたい。
一緒に乗りたい。
それが“音を楽しむ”、なのかな。」

音楽って、「上手になりたい」ももちろんそうですが、
やはり「楽しむ」ためにやりたいですね。
もちろん、上手だと、美しいと、聴いてて気持ちいいと、もっともっと楽しめるから、
「楽しむために上手になる」と言ってもいいかもしれないです。
、、、今日の格言はこれですね^^!

2010年5月18日にここのブログを始めて、
早5年経ちました!
5年も経過したら、1ヶ月に多くて4回くらいしか書き込めないとは〜><
今月なんて、もう21日なのに今月初の書き込みとは〜><
始めた当初はほぼ毎日書き込めていたのが嘘のようです><

始めた当時の記録、、ハローワークと飼っていた金魚ちゃんと、そして不安な日々と、、、
今とは全く違う日々でした。
すなわち、5年も経てば、人間全く違う生き方も可能なんだな〜と、
10代なら当たり前だけど、そこから何十年経っても、違う生き方が可能なんだと、
改めて気づかされました。

「5年前の自分は、5年後の自分がこんな風になっているなんて、
全く知らない。全く思いもよらない。
だから、5年後の自分のことは、
今の自分は全く思いもよらない自分だったりするんだろうか。
ちょっと不思議でちょっと期待してちょっと怖かったりする。。。」

そして、5年前は同居人だったsosirefaは、現在籍を同じくする人になりました。
これは5年前にとって嬉しい未来♡
今から5年後の未来もずっと同じように続いていますように♡

1ヶ月に1回は、川の見える地元に行って、
親のいない実家の様子を見たり、墓参りをしたりしています。
今日は、川をじっくり見て歩くことができ、大変満足ですが、
かなり歩いて、足が棒状態です;

こんなとき思い浮かぶのは、川の曲じゃなくて「カントリーロード」。
それも、原曲の「TAKE ME HOME, COUNTRY ROADS」ではなく、
ジブリの「耳をすませば」挿入歌の「カントリーロード」、これが合います。
このアレンジは秀逸ですね。私ごのみです。泣けます。
特に歌詞の「帰りたい 帰れない さよなら カントリーロード」は、いかんです;;

「音楽は、言いたくても言えない気持ちを盛り上げる。
そしてきゅんとくる。寂しくなる。
、、、だけど現実に戻ると、現実に適した気持ちに返る。
ひとときだけでも本音を味わう瞬間が音楽。」

そうそう、実際問題、実家に住むのはしんどいことなんです。
だから「帰りたい」というのはちょっと違うかも。
「帰れない」の方が大きいですね。今のところ。
だから、「さよなら」をこの曲に託したいと思いました。。。


7月最後に、今月書こうと思っていたもう一つのネタを書きます。
組織やらに馴染まず、今のところフリーランスで生きていますが、
たまに、自分の専門職同士の集まりなんかがあり、
たまに、そこで発言なんかしてしまうことがあり、
でもたいていは、何も反応されずスルーされることが多いです。
ああ、またやってしまった、もう何も言わない、とかたく誓いながらも、
何かの拍子で、別の集まりで発言してしまって、後悔して、、、を繰り返しています。
その度、「自分はこの専門職に向いていないから」と落ち込みます。
でも、それだけではなくて、自分の集団の中の立ち位置が、昔から定まっているのではないかと、
今のところ思うようになりました。

いわゆる「いてもいい、いなくてもいい」というポジション。
すなわち「いるのが当たり前」「いないのが当たり前」という、
存在感の薄さ、というものを持っているんじゃないかと思い至りました。
「いる」ときは、それこそ空気のような存在で、「いるのかいないのかわからない」、
よく言えば「害にならない」、悪く言えば「どっちでもいい」存在なのかな、と。
そして「いない」ときは、「いないことに気づかない」ほど、
存在感がないのかな、と。
これは、フリーランスであろうが、正規職員であろうが、学生の時であろうが、
思い起こせば、それが自分にとって収まりやすかったのではないかなと思うようになりました。

それはそれでいいのですが、
問題は、今domisosiとして書いている曲、
これさえも、存在として浮き上がって来ていないのではないだろうか、
ということで、
YouTubeにあげていてもカウントが伸びないのも、
自分の生まれながらの立ち位置が関係しているのではないかな、と思った次第です。
だって、domisosiの曲は、私自身の思いを表しているから、
私自身のあり方が反映するのは仕方ないことでしょう。
色んな人に聴いてもらいたい曲がこれじゃ、浮かばれないのが残念でもあるのですが、
存在を拒まれていないからいいか、とも思ったりします。
世の中に「派手な存在」「地味な存在」ってあると思いますが、
もちろん自分は「地味」なんだと思いますが、
やっぱり、表現する立場の人は「派手」な方が「ウケる」んでしょうかね〜。。。

「だからもう、ウケるや売れるは考えず、
自分が聴きたい曲を作る!
これだけに絞って曲作りしていこう。」

、、、なんてことを、暑い中、ネチネチ考えることもあります。
ネガティブな方向に自分を追い詰めるのは、暑いせいかな〜と思ったりしていますゞ




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HN:
domisosi
性別:
非公開
職業:
とある専門職
趣味:
音楽全般(演奏、鑑賞、作曲他)