2014/10/09 18:09:18
相変わらず、ピアノ人前演奏シフトと並行して、
ピアノに関する本を読んで、イメトレしてます。
色んな本や情報から察するに、
大人になると、余計な雑音、ちょっとした音も聴いてしまい、
本来のピアノの音から耳が逸れて、結果ピアノに集中出来なくなることがあるみたいです。
いわゆる、加齢により集中力が減退する。。。
子どもって、ホント集中力が凄まじいですよね。
あの頃に戻りたい。。。
それにはやはり、意識して自分が弾くピアノの音に耳を傾けねばなりません。
暗譜するのも、自分の音、そして響きを「よく聴く」ためだそうです。
どうしても視覚刺激と聴覚刺激、どちらも並行するのは難しく、
見ることに気持ちが向くと、音を聴くことが疎かになるとのことです。
自分の音をしっかり聴くために、視覚刺激を排除する必要があるとのことです。
自分が聴ける音でないと、「聴かせる」音が作れませんもんね。
しかし、日頃電子ピアノでヘッドフォンで練習していると、
雑音は阻害されるのですが、
いざ本番で、雑音やホールに響く自分のピアノの音にびびって、
それまで覚えていた音が全てどこかへ飛んでいく、、、というパターンに慣れきってしまっていました。
それではいかんのです!
なので、できるだけ、ヘッドフォンをはずして、グランンドピアノを弾ける場所を探して、
ひたすら自分の音に集中する、、、そういう練習を積み重ねています。
残念ながら、そういう時間と場所は限られているのですが。。。
「だから、今後の私の目標は、
グランドピアノを気兼ねなく弾ける場所を確保する!
これを目指したいと強く強く思った。
これが私の、音楽と共に歩むべき道。」
さて、もう時間がないので、どんどん練習せねば、なんですが、
これまた加齢により、長時間練習していると手を痛めてしまいそうになります。
なんで、なんで、もっと若いとき、
もっと、もっと、ピアノを弾かなかったんだろう。
今更言っても何ですが、少し後悔しています。。。。。
ピアノに関する本を読んで、イメトレしてます。
色んな本や情報から察するに、
大人になると、余計な雑音、ちょっとした音も聴いてしまい、
本来のピアノの音から耳が逸れて、結果ピアノに集中出来なくなることがあるみたいです。
いわゆる、加齢により集中力が減退する。。。
子どもって、ホント集中力が凄まじいですよね。
あの頃に戻りたい。。。
それにはやはり、意識して自分が弾くピアノの音に耳を傾けねばなりません。
暗譜するのも、自分の音、そして響きを「よく聴く」ためだそうです。
どうしても視覚刺激と聴覚刺激、どちらも並行するのは難しく、
見ることに気持ちが向くと、音を聴くことが疎かになるとのことです。
自分の音をしっかり聴くために、視覚刺激を排除する必要があるとのことです。
自分が聴ける音でないと、「聴かせる」音が作れませんもんね。
しかし、日頃電子ピアノでヘッドフォンで練習していると、
雑音は阻害されるのですが、
いざ本番で、雑音やホールに響く自分のピアノの音にびびって、
それまで覚えていた音が全てどこかへ飛んでいく、、、というパターンに慣れきってしまっていました。
それではいかんのです!
なので、できるだけ、ヘッドフォンをはずして、グランンドピアノを弾ける場所を探して、
ひたすら自分の音に集中する、、、そういう練習を積み重ねています。
残念ながら、そういう時間と場所は限られているのですが。。。
「だから、今後の私の目標は、
グランドピアノを気兼ねなく弾ける場所を確保する!
これを目指したいと強く強く思った。
これが私の、音楽と共に歩むべき道。」
さて、もう時間がないので、どんどん練習せねば、なんですが、
これまた加齢により、長時間練習していると手を痛めてしまいそうになります。
なんで、なんで、もっと若いとき、
もっと、もっと、ピアノを弾かなかったんだろう。
今更言っても何ですが、少し後悔しています。。。。。
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2014/09/30 17:24:38
ここしばらく、ピアノがうまくなるための本等を読んだりして、
ピアノ発表に立ち向かえるようメンタルを鍛えようとしていますが、
ある本には「音楽になるように演奏する」ということが書かれていて、
これまた目からウロコ、でした。
そもそも作られた音楽を、演奏者は黒子として再生する訳で、
その音楽が言わんとしていることやその美しさを聴いてもらうのが演奏者の主たる役割であって、
演奏者の自己主張は必要ないんですね。
だとしたら、演奏者の勝手な緊張感も必要ない訳です。
そんな物を伝えたい訳ではない。
音楽の素晴らしさ、これを伝えるために「音楽を演じる」「音楽になりきる」、
これが必要なんだ、と気づきました。
そういえば、演奏する人って、黒い服を着ている場合が多いのも、こういうことだったんですね。
「ついつい、自分を出してしまいがちなひとりよがりな演奏。
もし上手なら、『私を見て見て』みたいになりがちな自己顕示欲の強い演奏。
そういうものから解放されたい。
素直に、素朴に、私カラーではなく、音楽そのものを伝えたい。
いや、伝えなければ。」
しかし、いくらそういう気持ちでも、まだ音楽が身体の中に入り込んでいないのは悲しい事実です。
一音間違えれば、うろたえてしまいます。
あと何週間か、音楽そのものになりきれるよう、集中するのみです。。。
ピアノ発表に立ち向かえるようメンタルを鍛えようとしていますが、
ある本には「音楽になるように演奏する」ということが書かれていて、
これまた目からウロコ、でした。
そもそも作られた音楽を、演奏者は黒子として再生する訳で、
その音楽が言わんとしていることやその美しさを聴いてもらうのが演奏者の主たる役割であって、
演奏者の自己主張は必要ないんですね。
だとしたら、演奏者の勝手な緊張感も必要ない訳です。
そんな物を伝えたい訳ではない。
音楽の素晴らしさ、これを伝えるために「音楽を演じる」「音楽になりきる」、
これが必要なんだ、と気づきました。
そういえば、演奏する人って、黒い服を着ている場合が多いのも、こういうことだったんですね。
「ついつい、自分を出してしまいがちなひとりよがりな演奏。
もし上手なら、『私を見て見て』みたいになりがちな自己顕示欲の強い演奏。
そういうものから解放されたい。
素直に、素朴に、私カラーではなく、音楽そのものを伝えたい。
いや、伝えなければ。」
しかし、いくらそういう気持ちでも、まだ音楽が身体の中に入り込んでいないのは悲しい事実です。
一音間違えれば、うろたえてしまいます。
あと何週間か、音楽そのものになりきれるよう、集中するのみです。。。
2014/09/17 17:20:53
やはり楽器の演奏、特にピアノ等は、年齢が若い時から始めるに越したことはないでしょう。
でも、若い人の演奏と年齢を重ねた人の演奏では、
若い方がうまい!とは限らない気がします。
先日、若手のピアニストの演奏を聴きました。
クリアな音色で、澄み切った音がとても気持ち良かったです。
次に、円熟した大ベテランのピアニストの演奏を聴きました。
クリアな音ではないのですが、濁った音ではない、深みのあるじんわりした音で、思わず涙ぐみそうになりました。
同じ曲ではなかったのですが、こうも年齢によって、いやピアニストによって違う物かと、
やっと、その違いが少し分かるようになってきました。
どちらがいいとか悪いの問題ではなく、
年齢では比較出来ない物が、音楽にはあるんだと思った瞬間でした。
「自分の拙いピアノ演奏も、
たとえ年老いても、
一音一音思いを込めて弾くことで、
いつの日か心にぐっとくる演奏が出来るかもしれない。
自分のピアノで感動してくれる人もいるかもしれない。
そう思うと、やはり演奏は限りなく続けたいと思う。」
そして、ピアノ人前演奏本番に向けて、
いよいよラストスパート、疾走する日々が近づいてきました。
また暗譜に困っていますが、
ある本に載っていた、「身体と目」で覚えるのではなく、
「頭と耳」を使ってすべてを取り入れられるように奮闘したいと思います。
また経過報告しますね♪
でも、若い人の演奏と年齢を重ねた人の演奏では、
若い方がうまい!とは限らない気がします。
先日、若手のピアニストの演奏を聴きました。
クリアな音色で、澄み切った音がとても気持ち良かったです。
次に、円熟した大ベテランのピアニストの演奏を聴きました。
クリアな音ではないのですが、濁った音ではない、深みのあるじんわりした音で、思わず涙ぐみそうになりました。
同じ曲ではなかったのですが、こうも年齢によって、いやピアニストによって違う物かと、
やっと、その違いが少し分かるようになってきました。
どちらがいいとか悪いの問題ではなく、
年齢では比較出来ない物が、音楽にはあるんだと思った瞬間でした。
「自分の拙いピアノ演奏も、
たとえ年老いても、
一音一音思いを込めて弾くことで、
いつの日か心にぐっとくる演奏が出来るかもしれない。
自分のピアノで感動してくれる人もいるかもしれない。
そう思うと、やはり演奏は限りなく続けたいと思う。」
そして、ピアノ人前演奏本番に向けて、
いよいよラストスパート、疾走する日々が近づいてきました。
また暗譜に困っていますが、
ある本に載っていた、「身体と目」で覚えるのではなく、
「頭と耳」を使ってすべてを取り入れられるように奮闘したいと思います。
また経過報告しますね♪
2014/08/26 17:47:34
先日の「らららクラシック」では、
ホルストの「惑星『木星』」がテーマでした。
そこで思い出したことが2つ。
そういえば、中学校の吹奏楽部に入って間もない頃、この曲を演奏したような。
そういえば、この曲他、「惑星」をホールで聴いて号泣して、音楽の道へシフトチェンジしたような。
1つ目は間違いないのですが、
2つ目は怪しい。「惑星」だったか、「展覧会の絵」だったか、「クープランの墓」だったか。
自分の日記を調べると、それは2007年2月のこと。これは間違いなし。
行った場所も、とある大きなホール。これも間違いなし。
そこから、ホール名と日付と曲を検索窓に入れて、
調べること2、3日で、分かりました。
私が号泣した日に演奏されたのは「惑星」と「展覧会の絵」。
間違いありませんでした。
ということで、「惑星」は、私の運命の曲、と認定させて頂きます^^
「たぶん、あのときあのホールであの演奏を聴いていなかったら、
このタイミングで確実に正職員を辞めて音楽の時間を作ろう!とまでは、
思わなかったような気がする。
運命は、どこでどう、道を変えて行くものか。
先のことは誰も分からない。
でも私は、自分で切り開くだけではなく、直感と運命を信じて道を歩きたい。」
ということは、ここでこの時点で「惑星」を聴いたということは、
また私の運命の選択肢が出てくるということでしょうか。
今年?来年?
いや今年は既に大きな運命の分岐点でしたから、
運命の選択は既に起こっていたことかもしれないです。
今後、「惑星」を聴くと、自分の行く道について分岐点を探してしまうかもです。
ホルストの「惑星『木星』」がテーマでした。
そこで思い出したことが2つ。
そういえば、中学校の吹奏楽部に入って間もない頃、この曲を演奏したような。
そういえば、この曲他、「惑星」をホールで聴いて号泣して、音楽の道へシフトチェンジしたような。
1つ目は間違いないのですが、
2つ目は怪しい。「惑星」だったか、「展覧会の絵」だったか、「クープランの墓」だったか。
自分の日記を調べると、それは2007年2月のこと。これは間違いなし。
行った場所も、とある大きなホール。これも間違いなし。
そこから、ホール名と日付と曲を検索窓に入れて、
調べること2、3日で、分かりました。
私が号泣した日に演奏されたのは「惑星」と「展覧会の絵」。
間違いありませんでした。
ということで、「惑星」は、私の運命の曲、と認定させて頂きます^^
「たぶん、あのときあのホールであの演奏を聴いていなかったら、
このタイミングで確実に正職員を辞めて音楽の時間を作ろう!とまでは、
思わなかったような気がする。
運命は、どこでどう、道を変えて行くものか。
先のことは誰も分からない。
でも私は、自分で切り開くだけではなく、直感と運命を信じて道を歩きたい。」
ということは、ここでこの時点で「惑星」を聴いたということは、
また私の運命の選択肢が出てくるということでしょうか。
今年?来年?
いや今年は既に大きな運命の分岐点でしたから、
運命の選択は既に起こっていたことかもしれないです。
今後、「惑星」を聴くと、自分の行く道について分岐点を探してしまうかもです。
2014/08/14 17:31:17
「夢みる夢子ちゃん」…なんじゃそれって感じですが、
昔から、何を考えているか分からない、いつもボーッとしている、夢の中にいる、、、
等々、母親から言われていました。
まあ、動きが鈍重なので、色々言われてもすぐに動かない、反応しないからそう見えたのかもしれませんが、
自分自身も、無意識のうちに動いている、動きながら別のこと考えている(もしくは何も考えていない)ということは、
大人になった今でもしょっちゅうあって、
ああ、自分って現実感がないな〜と思うことがしばしばです。
そんな自分が、現実感バリバリの世界に行くと、かなり劣ってきます。
例えば計算ミス、筆記ミスなどはしょっちゅうですし、
人の言う通りに動くのが難しいし、何を言っているか理解するのが難しい時もあったり、
逆に自分が何を言っているか何を伝えたいのか、言いながら分からない時があるし。
そんな自分は、現実の中で自己卑下しながら生きるより、
ファンタジーの中で生きることを選んだ気がします。
つまり、自分の専門職は、結構ファンタジーを扱っていて、
ある意味、天職だったように思います。
そして音楽、この存在は、「現実とファンタジーの間を漂っている」、
そんな気がします。
だから、時代や世代、年齢、性別、国境、障害を越えて、言葉を越えて、
音楽は共有共感出来るものだと思われます。
そしてその性質が、不運にもファンタジーが現実化してしまった人たちに、
現実の中で生きやすくするツール、いや生きる術として用いられるのではないかと、
ずっと考えています。私の人生のテーマです。
なぜ自分が音楽にこんなにこだわっているのだろう、と思ったとき、
要は自分もファンタジーを現実化しそうな資質があり、
でも色々な要因が重なって、そうならずに今過ごしている訳で、
だから、ファンタジーと音楽の親和性を強く感じ、
そして、現実感が相変わらず抜け落ちて、その部分で痛い目に遭っているんだなと痛感し、
ますます音楽の世界に傾倒したくなっているのではないかと思います。
「だから夢みる夢子ちゃんは、
自分の、そして人のファンタジーも大事にしながら、
音楽を通じて、人とコミュニケートしているの。
音楽を通じて、でないとコミュニケートできないの。」
ややこしい話ですみません。
でも自分にとっては大事な話ということで、備忘録にしたく思います。
読んで頂いた方、ありがとうございます。
昔から、何を考えているか分からない、いつもボーッとしている、夢の中にいる、、、
等々、母親から言われていました。
まあ、動きが鈍重なので、色々言われてもすぐに動かない、反応しないからそう見えたのかもしれませんが、
自分自身も、無意識のうちに動いている、動きながら別のこと考えている(もしくは何も考えていない)ということは、
大人になった今でもしょっちゅうあって、
ああ、自分って現実感がないな〜と思うことがしばしばです。
そんな自分が、現実感バリバリの世界に行くと、かなり劣ってきます。
例えば計算ミス、筆記ミスなどはしょっちゅうですし、
人の言う通りに動くのが難しいし、何を言っているか理解するのが難しい時もあったり、
逆に自分が何を言っているか何を伝えたいのか、言いながら分からない時があるし。
そんな自分は、現実の中で自己卑下しながら生きるより、
ファンタジーの中で生きることを選んだ気がします。
つまり、自分の専門職は、結構ファンタジーを扱っていて、
ある意味、天職だったように思います。
そして音楽、この存在は、「現実とファンタジーの間を漂っている」、
そんな気がします。
だから、時代や世代、年齢、性別、国境、障害を越えて、言葉を越えて、
音楽は共有共感出来るものだと思われます。
そしてその性質が、不運にもファンタジーが現実化してしまった人たちに、
現実の中で生きやすくするツール、いや生きる術として用いられるのではないかと、
ずっと考えています。私の人生のテーマです。
なぜ自分が音楽にこんなにこだわっているのだろう、と思ったとき、
要は自分もファンタジーを現実化しそうな資質があり、
でも色々な要因が重なって、そうならずに今過ごしている訳で、
だから、ファンタジーと音楽の親和性を強く感じ、
そして、現実感が相変わらず抜け落ちて、その部分で痛い目に遭っているんだなと痛感し、
ますます音楽の世界に傾倒したくなっているのではないかと思います。
「だから夢みる夢子ちゃんは、
自分の、そして人のファンタジーも大事にしながら、
音楽を通じて、人とコミュニケートしているの。
音楽を通じて、でないとコミュニケートできないの。」
ややこしい話ですみません。
でも自分にとっては大事な話ということで、備忘録にしたく思います。
読んで頂いた方、ありがとうございます。