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なぜ私はそんなに「音楽」にこだわるのか。
こだわらずにはいられないのか。
「音楽」を趣味としてではなく仕事に近い位置づけにしたがるのか。

…もちろん、「好き」が大きな理由であり、根本だと思いますが、
私独特の理由もあるんだと思い、
以下、備忘録として記録しようと思います。

1.後悔したくないから
:音大受験を諦めた高校1年の冬、その後何年経っても後悔し続けることになりました。それを繰り返したくないのです。
「あのときこうすれば良かった」を、繰り返したくないのです。
2.老後のために音楽を貯蓄したいから
:老後の生活のために、お金を貯めるのは一般的ですが、私の場合は音楽経験をたくさん貯めたいです。
それが、老後の糧になる気がします。
3.欠如した面を補うため
:自分の中で明らかに欠如している面があります。他人様からも分かることですが。
それを埋めるために音楽にしがみついているのかもしれません。
4.仕事にこだわらないため
:自分の専門職は少し特殊で、これにこだわったりのめり込んだりすると、自分にとっては危険なんです。
少し距離を置く、時間を減らす等、自分で調節しないと飲み込まれてしまいそうな仕事なんです。
5.演奏が下手だから、失敗してばかりだから、だから「次こそは」を叶えるために続けている。
:正直、あんなにピアノを頑張っていますが、「ピアノが上手」と言われたことはありません。
自分のピアノを聴いて喜ばれた経験はありません。親からも。
だから、かもしれないですが、自分が満足出来る演奏が出来るようになるまで、
へたくそだからこそ続けたいのかもしれないです。

「こんなことをつらつら書くのは、
また演奏に失敗したため。
キリないことやっているのかもしれないけど、
自分にとっては意味あることなんだと再確認したいため。」

5つも挙げてしまいました。
これら1つ1つをブログのタイトルにして語るのもアリですが、
そこまでこだわる人ではありません。
正直、何かにこだわるほどのエネルギーなんてない方なんですが、
今一度、こんな時だから、改めて自分と音楽の関係を見直してみました。
読んで頂いた方、共有して頂き本当にありがとうございました。
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去年のブログも見たら、結構追い込んでいたんですね〜,ピアノ。
今年も去年と同じ鐵を踏むのか。。。??
今日は、久しぶりに追い込むような、一日中ピアノ弾きでした。
いつも30分ウォーキングしている人が、いきなりフルマラソンの準備をしているかのようです。
おかげで、身体が痛いし、耳もよく使った気分です。

こんなに頑張っても出来ないパッセージはあるし、
きっと本番当日は元の木阿弥状態かも、、、って、
頑張った去年の結果を思い出すとネガティブ思考になってしまいますが、
もういい!過去は忘れて、
やれるだけのことをやった今の自分をほめたいと思います。
これまたマラソンのあの人の言葉を借りるかのように。

「こうやって音楽で自分を毎年追い込んで、
何のためか疑問に思うけど、
今は、こうせずにはいられない自分を受け入れよう。」

もしもピアニストになっていたなら、
こんな、浴びるほどピアノばかり弾く孤独な毎日を送っていたんでしょうね。
年何回かのステージのために。
社交的な昔の自分なら、耐えられなかったでしょう。
孤独を愛する今の自分なら、こんな生活も悪くないかもと思ったりします。
しかし、ステージの度のプレッシャーというか独特の緊張感、耐えられたんでしょうかね。
、、、そう思うと、結局今の自分のように、
程々に音楽を楽しむ程度が良かったのかもしれないですね。




相変わらず、ピアノ人前演奏シフトと並行して、
ピアノに関する本を読んで、イメトレしてます。
色んな本や情報から察するに、
大人になると、余計な雑音、ちょっとした音も聴いてしまい、
本来のピアノの音から耳が逸れて、結果ピアノに集中出来なくなることがあるみたいです。
いわゆる、加齢により集中力が減退する。。。
子どもって、ホント集中力が凄まじいですよね。
あの頃に戻りたい。。。

それにはやはり、意識して自分が弾くピアノの音に耳を傾けねばなりません。
暗譜するのも、自分の音、そして響きを「よく聴く」ためだそうです。
どうしても視覚刺激と聴覚刺激、どちらも並行するのは難しく、
見ることに気持ちが向くと、音を聴くことが疎かになるとのことです。
自分の音をしっかり聴くために、視覚刺激を排除する必要があるとのことです。
自分が聴ける音でないと、「聴かせる」音が作れませんもんね。

しかし、日頃電子ピアノでヘッドフォンで練習していると、
雑音は阻害されるのですが、
いざ本番で、雑音やホールに響く自分のピアノの音にびびって、
それまで覚えていた音が全てどこかへ飛んでいく、、、というパターンに慣れきってしまっていました。
それではいかんのです!
なので、できるだけ、ヘッドフォンをはずして、グランンドピアノを弾ける場所を探して、
ひたすら自分の音に集中する、、、そういう練習を積み重ねています。
残念ながら、そういう時間と場所は限られているのですが。。。

「だから、今後の私の目標は、
グランドピアノを気兼ねなく弾ける場所を確保する!
これを目指したいと強く強く思った。
これが私の、音楽と共に歩むべき道。」

さて、もう時間がないので、どんどん練習せねば、なんですが、
これまた加齢により、長時間練習していると手を痛めてしまいそうになります。
なんで、なんで、もっと若いとき、
もっと、もっと、ピアノを弾かなかったんだろう。
今更言っても何ですが、少し後悔しています。。。。。





ここしばらく、ピアノがうまくなるための本等を読んだりして、
ピアノ発表に立ち向かえるようメンタルを鍛えようとしていますが、
ある本には「音楽になるように演奏する」ということが書かれていて、
これまた目からウロコ、でした。

そもそも作られた音楽を、演奏者は黒子として再生する訳で、
その音楽が言わんとしていることやその美しさを聴いてもらうのが演奏者の主たる役割であって、
演奏者の自己主張は必要ないんですね。
だとしたら、演奏者の勝手な緊張感も必要ない訳です。
そんな物を伝えたい訳ではない。
音楽の素晴らしさ、これを伝えるために「音楽を演じる」「音楽になりきる」、
これが必要なんだ、と気づきました。
そういえば、演奏する人って、黒い服を着ている場合が多いのも、こういうことだったんですね。

「ついつい、自分を出してしまいがちなひとりよがりな演奏。
もし上手なら、『私を見て見て』みたいになりがちな自己顕示欲の強い演奏。
そういうものから解放されたい。
素直に、素朴に、私カラーではなく、音楽そのものを伝えたい。
いや、伝えなければ。」

しかし、いくらそういう気持ちでも、まだ音楽が身体の中に入り込んでいないのは悲しい事実です。
一音間違えれば、うろたえてしまいます。
あと何週間か、音楽そのものになりきれるよう、集中するのみです。。。



やはり楽器の演奏、特にピアノ等は、年齢が若い時から始めるに越したことはないでしょう。
でも、若い人の演奏と年齢を重ねた人の演奏では、
若い方がうまい!とは限らない気がします。

先日、若手のピアニストの演奏を聴きました。
クリアな音色で、澄み切った音がとても気持ち良かったです。
次に、円熟した大ベテランのピアニストの演奏を聴きました。
クリアな音ではないのですが、濁った音ではない、深みのあるじんわりした音で、思わず涙ぐみそうになりました。
同じ曲ではなかったのですが、こうも年齢によって、いやピアニストによって違う物かと、
やっと、その違いが少し分かるようになってきました。
どちらがいいとか悪いの問題ではなく、
年齢では比較出来ない物が、音楽にはあるんだと思った瞬間でした。

「自分の拙いピアノ演奏も、
たとえ年老いても、
一音一音思いを込めて弾くことで、
いつの日か心にぐっとくる演奏が出来るかもしれない。
自分のピアノで感動してくれる人もいるかもしれない。
そう思うと、やはり演奏は限りなく続けたいと思う。」

そして、ピアノ人前演奏本番に向けて、
いよいよラストスパート、疾走する日々が近づいてきました。
また暗譜に困っていますが、
ある本に載っていた、「身体と目」で覚えるのではなく、
「頭と耳」を使ってすべてを取り入れられるように奮闘したいと思います。
また経過報告しますね♪



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とある専門職
趣味:
音楽全般(演奏、鑑賞、作曲他)