2010/08/12 18:26:55
台風が日本を通過した今日は、
せっせと、3曲目の動画制作をしていました。
初めて、クレイアニメ挑戦です!
なぜこれをしようと思ったか、、直感です!
今回の曲に、クレイアニメが合いそうだったので。
しかし、粘土で人形を作る所からして大いに苦心しました。
自分が不器用すぎて、笑うしかありません。。
そして、なかなか直立しません。
「立つんだジョー!」とレミオロメンの歌を口ずさみつつ、
何度も作り直して出来ました。
それは昨日の話で、
今日はそれらをアニメーションになるよう撮影しました。
台風通過で曇り空にもかかわらず、光の補正等考えず、
あまりに素人ですゞ
少しお見せしましょう↓

なんの色気もない粘土人形ですゞ
いやーアニメーションも大変です。
パソコンでやるからマシかもしれませんが、
ほんの5秒ほどでも、30数枚カットが必要ですから!
全部手書きでやっていた、昔のアニメは凄いです!!
何もかも1からやるのは大変ですが、反面気楽で誇らしいです。
これでシンガーソングアニメーションライターだ!な〜んて。
(あ、シングは自力ではないですね。今回もミクちゃんですゞ)
遊びだから出来ることですね。
つまり、仕事のように責任が伴わないから、いい加減で、
自分が満足したらいい訳で。
あーそこが、仕事と遊びの最大の違いですね。責任を持つこと。
なら、いい加減に音楽に取り組みたくないなら、
責任を伴う「仕事」として音楽に取り組むのが、私の信念に近いのでしょうか。
「大人だから、生きていく手段が必要。
求められることを責任もって果たすことが必要。
無責任に遊べる年齢では、今はない。
五体満足のうちは、責任もって働くことを選ぶべきか。。」
どうしても自分のやりたいことをやりたいように追求したいなら、
もはや、パトロンを探すしかない?宝くじ??
芸術を自由にやり通すことって、なかなか難しいですね。。。
せっせと、3曲目の動画制作をしていました。
初めて、クレイアニメ挑戦です!
なぜこれをしようと思ったか、、直感です!
今回の曲に、クレイアニメが合いそうだったので。
しかし、粘土で人形を作る所からして大いに苦心しました。
自分が不器用すぎて、笑うしかありません。。
そして、なかなか直立しません。
「立つんだジョー!」とレミオロメンの歌を口ずさみつつ、
何度も作り直して出来ました。
それは昨日の話で、
今日はそれらをアニメーションになるよう撮影しました。
台風通過で曇り空にもかかわらず、光の補正等考えず、
あまりに素人ですゞ
少しお見せしましょう↓
なんの色気もない粘土人形ですゞ
いやーアニメーションも大変です。
パソコンでやるからマシかもしれませんが、
ほんの5秒ほどでも、30数枚カットが必要ですから!
全部手書きでやっていた、昔のアニメは凄いです!!
何もかも1からやるのは大変ですが、反面気楽で誇らしいです。
これでシンガーソングアニメーションライターだ!な〜んて。
(あ、シングは自力ではないですね。今回もミクちゃんですゞ)
遊びだから出来ることですね。
つまり、仕事のように責任が伴わないから、いい加減で、
自分が満足したらいい訳で。
あーそこが、仕事と遊びの最大の違いですね。責任を持つこと。
なら、いい加減に音楽に取り組みたくないなら、
責任を伴う「仕事」として音楽に取り組むのが、私の信念に近いのでしょうか。
「大人だから、生きていく手段が必要。
求められることを責任もって果たすことが必要。
無責任に遊べる年齢では、今はない。
五体満足のうちは、責任もって働くことを選ぶべきか。。」
どうしても自分のやりたいことをやりたいように追求したいなら、
もはや、パトロンを探すしかない?宝くじ??
芸術を自由にやり通すことって、なかなか難しいですね。。。
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2010/08/10 18:27:39
昨日のブログで、
自分が「音楽を手段に用いようとしている」と書いてしまったけど、
よく考えたら、
今現在は、音楽を手段にもせず、1番音楽と向き合っている時かもしれない、
と思い直しました。
なぜなら、音楽を用いて何かをする、ということは考えず、
ただひたすら、自分が作った曲を仕上げているだけの状態で、
当然、その音楽によってお金儲けなんかも考えてなくて、
ただひたすら、音楽が生み出されること、それと音楽の構造を勉強すること、
そのためだけに、今現在は生きていると思われます。
よく考えたら、
自分が音楽の道を志さなかったのは、
自分の好きな音楽を飯の種にしたくない、音楽で金儲けしたくない、
純粋に音楽を愛し続けたい、、
そういう思いから悩んだ末だったと思います。高校1年の終わり頃でした。
でも、その後、どう生きていいか分からず、
音楽を手段とするとある職業に興味を持ち、
いつの間にか、音楽を用いる以前に、必要とされるその職業のあらゆる作用を吸収したくなり、
気がつけば、その仕事に没頭して、自分の音楽をする時間が無くなり、
それが限界になって、
仕事を辞めて、音楽に没頭する時間が欲しくなった、
それが今現在だったんです。
音楽を手段のように考えていたのは、仕事をしていた時の自分だったんです。
今は純粋に、音楽と向き合えていると自負してもいいと思います。
でも、そんな贅沢はいつまでも続かない。
なぜなら、働かないと生きていけないから。
でも、音楽がお金を得る手段になるのだろうか。
もしそれを望めば、私が大切にしている“音楽”はどうなるんだろうか。。
音楽活動から人間活動を希望した宇多田ヒカルも、
自分の音楽を取り戻すために、時間が欲しくなったのだろうか。。
「音楽そのものに生きることは、ようするに音楽でお金を得ることなんだろうか。
なんか違うような気がする。
音楽=仕事、それが音楽そのものに生きることなんだろうか。
それ以外に、音楽を生かす生き方はないのだろうか。」
音楽と仕事は平行するのか、両立するのか、同義語になるのか、
難しい所です。まだまだ悩んでいこうと思います。
いっそ、働かず、音楽が出来たら〜と思って年2回は宝くじを買うのですが、
やっぱり、今回のサマージャンボも300円しか当たりませんでした;;
世の中そんなに甘くないです。。
自分が「音楽を手段に用いようとしている」と書いてしまったけど、
よく考えたら、
今現在は、音楽を手段にもせず、1番音楽と向き合っている時かもしれない、
と思い直しました。
なぜなら、音楽を用いて何かをする、ということは考えず、
ただひたすら、自分が作った曲を仕上げているだけの状態で、
当然、その音楽によってお金儲けなんかも考えてなくて、
ただひたすら、音楽が生み出されること、それと音楽の構造を勉強すること、
そのためだけに、今現在は生きていると思われます。
よく考えたら、
自分が音楽の道を志さなかったのは、
自分の好きな音楽を飯の種にしたくない、音楽で金儲けしたくない、
純粋に音楽を愛し続けたい、、
そういう思いから悩んだ末だったと思います。高校1年の終わり頃でした。
でも、その後、どう生きていいか分からず、
音楽を手段とするとある職業に興味を持ち、
いつの間にか、音楽を用いる以前に、必要とされるその職業のあらゆる作用を吸収したくなり、
気がつけば、その仕事に没頭して、自分の音楽をする時間が無くなり、
それが限界になって、
仕事を辞めて、音楽に没頭する時間が欲しくなった、
それが今現在だったんです。
音楽を手段のように考えていたのは、仕事をしていた時の自分だったんです。
今は純粋に、音楽と向き合えていると自負してもいいと思います。
でも、そんな贅沢はいつまでも続かない。
なぜなら、働かないと生きていけないから。
でも、音楽がお金を得る手段になるのだろうか。
もしそれを望めば、私が大切にしている“音楽”はどうなるんだろうか。。
音楽活動から人間活動を希望した宇多田ヒカルも、
自分の音楽を取り戻すために、時間が欲しくなったのだろうか。。
「音楽そのものに生きることは、ようするに音楽でお金を得ることなんだろうか。
なんか違うような気がする。
音楽=仕事、それが音楽そのものに生きることなんだろうか。
それ以外に、音楽を生かす生き方はないのだろうか。」
音楽と仕事は平行するのか、両立するのか、同義語になるのか、
難しい所です。まだまだ悩んでいこうと思います。
いっそ、働かず、音楽が出来たら〜と思って年2回は宝くじを買うのですが、
やっぱり、今回のサマージャンボも300円しか当たりませんでした;;
世の中そんなに甘くないです。。
2010/08/09 18:00:45
図書館で借りた『すべての武器を楽器に』を読みました。
8月と言えば終戦だし、今日は長崎の原爆の日だし、
ということと、「楽器」にひかれて読みました。
感想、、なかなか言葉にならないけど、
沖縄生まれ、育ちの人とは、持っている気質的な違いというか、
感覚の違いというか、痛みや傷つきの違いというか、
そういうものがあるかもしれないから、
「すっごい共感できる!」とはなかなか思いにくかったです。正直。
喜納さんの、グローバルな視点と沖縄気質から、
「すべての武器を楽器に」という言葉が産まれたと思うけど、
私にとっての音楽、楽器は、まだまだその視点には至ってないようです。
私の視点はまだまだ小さくて狭くて内向きで。
でも、内向きだからこそ気になる、すべての人に宿る心の闇、
その闇が表になってしまった時の助けに、
音楽や楽器は、なるではないかなと思ったりします。
まあ、音楽そのものに生きるのではなく、
音楽を手段に用いようとしている所は、喜納さんと同じかもしれないですね。
あ、失言!喜納さんは、ミュージシャンとしても精一杯生きていらっしゃるから、
私と同じように考えちゃいけないかゞ
「音楽そのものに生きたいために、仕事を辞めて音楽三昧の暮らしをしているはずなのに、
やっぱり音楽が手段になると考えてしまうなんて、
修行が足りないのか、前職の考え方が染み付いているのか。。」
ところで、前述の本の最後の方に、喜納さんの言葉がたくさん書かれているのですが、
「物事には『絶対』はない。」
これは、私も大いにそうだと思っています。
物事には答えは一つではない、善も良も悪もある、できるもできないも、
早いも遅いも、正しいも間違いも、楽も苦も、、あるのが人生ですよね!!
8月と言えば終戦だし、今日は長崎の原爆の日だし、
ということと、「楽器」にひかれて読みました。
感想、、なかなか言葉にならないけど、
沖縄生まれ、育ちの人とは、持っている気質的な違いというか、
感覚の違いというか、痛みや傷つきの違いというか、
そういうものがあるかもしれないから、
「すっごい共感できる!」とはなかなか思いにくかったです。正直。
喜納さんの、グローバルな視点と沖縄気質から、
「すべての武器を楽器に」という言葉が産まれたと思うけど、
私にとっての音楽、楽器は、まだまだその視点には至ってないようです。
私の視点はまだまだ小さくて狭くて内向きで。
でも、内向きだからこそ気になる、すべての人に宿る心の闇、
その闇が表になってしまった時の助けに、
音楽や楽器は、なるではないかなと思ったりします。
まあ、音楽そのものに生きるのではなく、
音楽を手段に用いようとしている所は、喜納さんと同じかもしれないですね。
あ、失言!喜納さんは、ミュージシャンとしても精一杯生きていらっしゃるから、
私と同じように考えちゃいけないかゞ
「音楽そのものに生きたいために、仕事を辞めて音楽三昧の暮らしをしているはずなのに、
やっぱり音楽が手段になると考えてしまうなんて、
修行が足りないのか、前職の考え方が染み付いているのか。。」
ところで、前述の本の最後の方に、喜納さんの言葉がたくさん書かれているのですが、
「物事には『絶対』はない。」
これは、私も大いにそうだと思っています。
物事には答えは一つではない、善も良も悪もある、できるもできないも、
早いも遅いも、正しいも間違いも、楽も苦も、、あるのが人生ですよね!!
2010/08/03 18:49:22
今日は作曲活動をお休みして、ビデオの整理をしていました。
うちには、録ったのに観ていないビデオがわんさかあります。
でも、近々(?)引っ越すために、
いい加減、いつまでもVHSを置いておくわけにはいかないと、
非情なるビデオ仕分けを行っています。
つまり、「1回観たら捨てるんだ!」と決めてビデオを1から見直しています。
そこで今日観たのが「阿久悠物語」。
なんと、2008年8月1日に放送したドラマ。
全然観てなくて放ってました。
で、今日観て、捨てることを迷ってます。
昭和の良き時代の物語で、凄い良かった。
故阿久悠さん、何千曲も歌詞を作り、
時代も作って来たんですね。
そこで思いついたこと、「自分は歌詞とメロディーどちらを優先する方か」。
結論では「メロディー」なんですが、
子どもの頃は、よく詩を書いてました。
言葉もとても大事と思ってます。
でも、言葉と言葉の間にある、どうにも表現しようのないもどかしさは、
音なら表現できるような気もします。
自分の作曲は、メロディーからやってきます。
こんな曲作りたいなーのイメージから、音が降りてきます。
神懸かり的な話しですが、ほんと降りてくるんです。
そして、歌詞を後付けするとき、
なぜか涙が出ます。
なんじゃそりゃ、って自分で突っ込み入れますが、
そんな曲だと、最後まで作ろうと思います。
先日アップした「July」も、ただ単にふわふわした曲ですが、
「なぜか涙が出る い〜よ」
という歌詞が浮かんだとき、泣けました。
「『泣いてもいいよ』って言ってもらえる、、最高に嬉しいじゃないですか(涙)。」
「阿久悠物語」から話が逸れましたがゞ、
昭和の思い出として、偉大な作詞家の物語として、
永久保存した方がいいでしょうか。
でも保存したとして、再び私はそのドラマを観るでしょうか。。。
仕分ける時って、ここで迷うんですね。
、、かくして捨てられないものが溜まってくるんです。しょうがないなあゞ
うちには、録ったのに観ていないビデオがわんさかあります。
でも、近々(?)引っ越すために、
いい加減、いつまでもVHSを置いておくわけにはいかないと、
非情なるビデオ仕分けを行っています。
つまり、「1回観たら捨てるんだ!」と決めてビデオを1から見直しています。
そこで今日観たのが「阿久悠物語」。
なんと、2008年8月1日に放送したドラマ。
全然観てなくて放ってました。
で、今日観て、捨てることを迷ってます。
昭和の良き時代の物語で、凄い良かった。
故阿久悠さん、何千曲も歌詞を作り、
時代も作って来たんですね。
そこで思いついたこと、「自分は歌詞とメロディーどちらを優先する方か」。
結論では「メロディー」なんですが、
子どもの頃は、よく詩を書いてました。
言葉もとても大事と思ってます。
でも、言葉と言葉の間にある、どうにも表現しようのないもどかしさは、
音なら表現できるような気もします。
自分の作曲は、メロディーからやってきます。
こんな曲作りたいなーのイメージから、音が降りてきます。
神懸かり的な話しですが、ほんと降りてくるんです。
そして、歌詞を後付けするとき、
なぜか涙が出ます。
なんじゃそりゃ、って自分で突っ込み入れますが、
そんな曲だと、最後まで作ろうと思います。
先日アップした「July」も、ただ単にふわふわした曲ですが、
「なぜか涙が出る い〜よ」
という歌詞が浮かんだとき、泣けました。
「『泣いてもいいよ』って言ってもらえる、、最高に嬉しいじゃないですか(涙)。」
「阿久悠物語」から話が逸れましたがゞ、
昭和の思い出として、偉大な作詞家の物語として、
永久保存した方がいいでしょうか。
でも保存したとして、再び私はそのドラマを観るでしょうか。。。
仕分ける時って、ここで迷うんですね。
、、かくして捨てられないものが溜まってくるんです。しょうがないなあゞ
2010/07/31 19:22:23
暑かった2010年の7月も今日で終わりですね。
明日から、暑い2010年の8月が始まります;
ところで、7月の宿題にしていた、
YouTubeアップのオリジナル曲「July」が、
完成しました!!ので、ここにお披露目します。
出来としては、80点くらいでしょうか??
実は、ウクレレのための曲として3年前に作ったのですが、
当時、ウクレレを買って、曲も出来て!って喜んでいたのに、
肝心のウクレレの技術が今イチで、
しかも練習もさっぱりしないので、
せっかくアップするためにDAWを駆使したのに、
素敵なウクレレの生音は入れられませんでした。
またいつか、ウクレレがうまくなったら、ウクレレヴァージョンとして、
作り直しましょう。
(いつのことでしょか?)
今以上年を取ると、かなり無理があるかわいらしい曲なので、
急いで作りました。
夏の爽やかな空気を感じていただければ嬉しいです^^
明日から、暑い2010年の8月が始まります;
ところで、7月の宿題にしていた、
YouTubeアップのオリジナル曲「July」が、
完成しました!!ので、ここにお披露目します。
出来としては、80点くらいでしょうか??
実は、ウクレレのための曲として3年前に作ったのですが、
当時、ウクレレを買って、曲も出来て!って喜んでいたのに、
肝心のウクレレの技術が今イチで、
しかも練習もさっぱりしないので、
せっかくアップするためにDAWを駆使したのに、
素敵なウクレレの生音は入れられませんでした。
またいつか、ウクレレがうまくなったら、ウクレレヴァージョンとして、
作り直しましょう。
(いつのことでしょか?)
今以上年を取ると、かなり無理があるかわいらしい曲なので、
急いで作りました。
夏の爽やかな空気を感じていただければ嬉しいです^^